今週のお題「人生最大の危機」
「あのピンチを振り返る」と言う事で、インドで “ダコイット” と呼ばれる強盗団に襲われたバスに乗った話を。
と書くと、実にセンセーショナルですが、安心してください。私が乗ったのは、襲われた翌週ですw
この記事に書いたとおり、私が海外で最も英語を喋ったのは学生時代に行ったインド。
以下は、バラナシからネパールのポカラに移動する長距離バスに乗った時の、車掌との会話です。
車の窓ガラスに銃痕のような跡を見つけた私。車掌に質問しました。
私「これは何?」
掌「ダコイット(強盗団)だ」*1
私「ゲッ!!いつ!?」
掌「先週だ。だから、しばらくは来ないよ。ノープロブレム」
私「…」
何故、あんたにそれがわかる!って話ですよ。
ただですね、後から考えると「この日本人のガキをからかってやろう」みたいなキツめなジョークだったのかも、と言う気もします。
しかし、その時の私は、そりゃもう、暗澹たる気持ちになりましたよ。
「あぁ、オレはもう、この遠く離れた異国の地で、若くして散るんだ。いずこの里の土饅頭だ」
などど言うネガティブな考えが頭をよぎりましたよ。*2
でも、そこはまぁ、当時のインドに一人旅するような若者ですからして。
「まぁそうなったら、そうなったで」とスイッチ切り替え、残りのバス旅を楽しみました。
ドミトリーとかで一緒になった日本人の旅行者に聞くと、もっと本格的に危ない目にあっている人達は沢山いましたから、それに較べたら可愛いもんです。
因みに、インド・ネパール滞在中に他にも危なかったのは、2回ほど高熱が出て寝込んだ事と、ネパールのポカラで、借りたバイク(Honda CM125)が山道で動かなくなった事。
後者は乾坤一擲・神が宿るキックで無事生還しましたw
それにしても、スマホはおろか、ケータイも無い、あの頃。
TOEIC換算して400点台くらいだったであろう当時の私が、よくもまぁ、上記の件を始め、1ヶ月の間、普通に会話してたな、と思います。*3
先述の記事から引用:
今の自分のように、豊富なイディオムも、難しい文法も知らなかったはずだけど、わずかな単語の組み合わせと、身振り手振りと、伝わるかどうかわからない日本語も喋りつつ、anyway, anyhow 何とかしていたんでしょう、多分。
(って他人事かよ)
正直、800ホルダーとなった今の方が、あんな感じで自由に会話できないだろうな、と。
「あれ?この言い回し、どう言うんだっけ?ちょっと待って、今、スマホで調べる」みたいなw
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